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五月人形って誰が買うものか決まってるのか?一般的には!

五月人形はだれが買うものなのでしょう。初めての節句を迎える家庭にとっては、勝手に買ってよいものなのか、悩むところです。調べていくと地域ごとに異なっていることが分かりました。昔は~とか、風習とか、そのような一般的なお話をしていきたいと思います。

 

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五月人形って誰が買うものか決まっているのか?

五月人形って誰が買うものなのでしょうか?

実際に、そのような立場になってみないと、考えもしなかったです。

 

そういえば、そうですね。

そこで、調べてみることにしました。

 

調べていくと、奥が深く、一概にはこうしましよう。といえないような事柄です。

そこには、日本の昔からの、とか、風習とかが絡み合います。

 

昔は・・・

昔の風習では、五月人形は、嫁ぎ先の両親が用意することになっていました。

しかし、今は昔、地域によって、様々に変化してきています。

 

関西では、お嫁さんやお婿さんの両親で

関東では、嫁ぎ先の両親が多いそうです。

 

そのまま、昔からの風習の地域もあります。

ので、一般的にはという感じで思っていただければと思います。

そもそも五月人形ってなに?

もとをたどると奈良時代に中国から伝わって来たというものです。

もともと「端午の節句」なのものは、

現在のような、兜などをかざる行事ごとではなくて

 

農業の関係から来ています。

五穀豊穣(ごこくほうじょう)と言う言葉を聞いたことがあると思います。

 

大昔、端午の節句は、この五穀豊穣を祈る

宮廷のお祭りの日だったのです。

 

当時の農業では、「五月」の月がとても重要でした。

また、五節句の一つ、端午の節句を祈る、月の初めを午(うま)の日を指し

 

午と五をかけて「五日」として、「五月五日」に行われていました。

平安時代に入り、病気や厄災をさけるための邪気払いの行事となりました。

 

鎌倉時代のころ、戦国中と言うことで「尚武の節句」として、祝っていました。

「邪気払い」の力があるとされていた「菖蒲(しょうぶ)」と「蓬(よもぎ)」

で厄災をしていました。

 

その後、時代が進むと

「菖蒲(しょうぶ)」が勇ましい心を持つ意味の「尚武(しょうぶ)」と

同じ読み方ということことから、縁起の良い行事となっていきました。

 

江戸時代では、男子の誕生を祝う、立身出世を願うようになりました。

 

そのような経緯で、広く町民の間に普及していきました。

初節句の祝い事として、兜などを飾るようになり

 

町民の武士に対するあこがれなどもあり

武士のシンボルとなる甲斐を飾ることに結びついていきます。

 

そして、次第に室内飾りとしても豪華に立派になっていきました。

「端午の節句」は、公的な行事として定められました。

江戸時代のころです。

 

武士の後継として男子誕生を祝う、健やかな成長と出世を願うものとして

定着していきます。

 

その後、明治になると現在のような端午の節句のように男子誕生の祝い事として

現代まで受け継がれています。

五月人形って誰が買うもの?現代編

五月人形は、昔ながらの風習で一般的には「母方の両親」が贈ります。

 

そのわけは

大昔、娘が結婚すると夫の家に入り、その夫の両親と一緒に生活をする

のが当たり前の時代だったころのことです。

 

母方の両親が遠距離で暮らしてる場合、なかなか会って顔を見られない

娘とその孫に会いたい気持ちで五月人形を用意して夫側の家

に持参をするというお話です。

 

が、現在では、そのような状況ではなくなってしまいましたね。

会いたければ、いつでもすぐに会えるようになりましたね。

そのようなことにこだわらなくなってきたとと言います。

 

自分で購入したり、両家で相談の上、贈るということも

あるそうです。

五月人形って誰が買うものか決まっているのか?一般的には!のまとめ

五月人形は、誰が買うものか?

昔の風習では、「母方の両親」ということでしたね。

 

これは、あくまで、一般的なもので、地域的な風習や伝統もあり

様々なようです。

 

そこには、昔からの古い日本の「家」という問題もありますが、

現代では、それほど強く残っていないですね。(地域によりあり)

「嫁ぐ」という言葉も、この核家族化の現代では、ピンとこなくなっています。

 

誰が、どちらが、買うのか? には、

特別な決まりはありませんので、

両親、御両家でよく話し合って決めればよいでしょう。

 

要は、孫の健やかな成長を祝う。

ですね。