ブルーシートはオレンジ色だった!萩原工業の驚きの技術と発想とは?

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ブルーシートは、最初オレンジ色だった。いま、日本中が、屋根にブルーシートをかぶせています。全国で災害により屋根が損害を受け、このブルーシートなくてはならない存在となっています。しかし、このブルーシートにも驚きの技術が。

「ブルーシート」が近年、注目され始めています。

品質も様々なようで、薄いとかすぐに破れてしまうとか問題となっているみたいです。

そこで、ブルーシートといえば「萩原工業(はぎはらこうぎょう)」、

国内でトップ企業と言われている会社を調べてみることに。

「へー」という想いもよらぬ感動をしました。

では・・・

ブルーシートの萩原工業とは

萩原工業株式会社(はぎはらこうぎょうかぶしきかいしゃ)

本部所在地、岡山県倉敷市水島仲通1-4

設立、1962年11月29日

化学繊維製品を製造・販売するメーカーです。

1892年創業の萩原会社の親会社は、畳表やゴザを取扱っていた。

親会社のその技術をもとに花ゴザの縦糸をポリエチレンで代替えするために

1962年、分社化し「萩原工業」が誕生しました。

ブルーシートを作るきっかけとは失敗からの発想

トラックの幌は、昔、布で織られたもので、重くて高価ではあるが雨水にぬれるとさらに重く

なる。これを改善しようと取り組んだ結果、「フラットヤーン」の開発に成功するが

実際、幌を作り長距離の試験をしたところ、風圧とはためきで幌は破れてしまったのです。

その結果、幌はあきらめ、この間に得たシートのいろいろな利用価値を発見、

翌年の1965年に「万能シート」と呼ばれる製品を発売しました。

ブルーシートは最初オレンジ色だった

ブルーシートは、最初オレンジ色だった。

というのは、幌を作っていた当時、この幌は、輸送トラックの日通にあわせていたので

オレンジ色だったということです。

ということで、発売された「万能シート」は、そのままオレンジ色と言うことになった分けで

す。

ところが、このオレンジ色が、よからぬ噂を引き起こすことになり

重金属が含まれているのでは?

と問題となった。

当然、そのようなものは含まれておらず、噂が広まってはどうしようもなく

業界全体で話し合いした結果、当時、バケツやホースなどが青色が多く使用されていて、

安くて耐久性もあるということから「青色」に決定したという経緯がありました。

ブルーシートの生産工程

①原料のポリエチレンの小さなつぶつぶ。⇒ 粒を溶かして薄く筒状にのばしフィルムにします。

②「フラットヤーン=平らな糸」をつくる

①のフィルムを細く切る⇒鉄板とロールを使用し伸ばす。すると細くて強い糸(フラットヤーン)の誕生。一本一本機械で巻き取る。原料に色を混ぜることにより多色の糸ができます。

「切る」「伸ばす」「巻く」の3つの技術が、創業以来守り続けている大切な「中核技術」

③織る

巻き取った糸を機会にセットし、織物にします。

④織物の完成

⑤完成した織物をブルーにコーティングすると、「ブルーシート」の完成です。

ブルーシート以外に、糸の作り方や織り方を変えたり、コーティングの仕方を変えると

多種のシートが作れます。

ブルーシートの萩原工業の技術

「フラットヤーン」の発明が萩原越え業の礎であり、最大の強み!

なのだが、遺贈工程を盗まれるというリスクを考え

特許申請はしていないという。

ポリエチレン、ポリプロピレンのフィルムを短冊状にカットし

延伸することにより強度を持たせた平らな糸のことです。

 

ブルーシートは、オレンジ色だった!萩原工業の驚きの技術と発想とは?のまとめ

ブルーシーの歴史を学びました。

ブルーシートを作るきっかけは、日通の輸送トラックの幌が起源で、

そのため日通カラーのオレンジ色だった。幌は失敗したが、

その過程において、「フラットヤーン」と呼ばれる

萩原工業の礎とした。

オレンジ色の風評被害を避けるべく、シートの色を

当時、安くて耐久性があったバケツヤホースと同じブルーにしたことが

ブルーシートの誕生であること。

萩原工業は、国内シートは、90%を占めます。

しかし、全体では、10%ほどだと言います。

同時に安い輸入品が出回り始めたという。

萩原工業のブルーシートの価格は、輸入品の3~4倍という。

輸入品とは、防水性や耐久性などの品質に圧倒的な自身を持っています。

やはり、滋養部で長持ちがよく、できれば安くですね。

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