北尾光司家族の妻と娘に看取られ亡なくなっていた!元横綱・双羽黒の晩年

スポーツ

3月29日、北尾光司こと元横綱双羽黒が、2月10日家族の妻と娘に看取られてすでに亡くなっていたという。突然の廃業、あの事件以来32年、なにがあったのか。伝説の横綱双羽黒は、22歳の若さで、横綱に駆け上り、あっという間に、相撲界から消えた。その後の北尾光司と死因に迫ります。

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北尾光司こと元横綱双羽黒の死因とは?

第60代横綱・双羽黒、本名・北尾光司氏が2月10日午前7時30分に亡くなりました。

死因は、慢性腎不全です。

2013年ごろから闘病生活を送っていたといいます。

まだ、55歳という若さで、とても、残念に思います。

いつかは、大相撲の解説にとひそかな望みを持っていましたが。

 

大相撲ファンならほとんどの方が知られていると思いますが、

ファン経験が浅い方もおられると思いますので、伝説となっている

横綱双羽黒について、少しお話をしたいと思います。

北尾光司の家族は?

なかなか詳細な情報がみつかりません。

知りえた限りでは、結婚はしていて、お子さんの娘がひとりいます。

妻は、女医さんのようです。お名前は、北尾淑恵(きたお よしえ)さん。

妻の淑恵夫人がコメントを出しています。

北尾光司は、6年間の闘病生活ののち、2月10日慢性腎不全のため、千葉県内の病院で他界いたしました。葬儀は生前からの本人の希望で娘と私だけの家族葬としました。

何かと世間をお騒がせしましたが、主人は曲がったことが大嫌いな、とてもピュアな人でした。

この場をお借りしまして、主人を応援してくださった皆様に厚く御礼申し上げます。

以上の「何かと~曲がったことが嫌い」という文面から、闘病生活も長期にわたり、淑恵夫人は大変ご苦労されたんだなと感じられますね。

北尾光司は天才横綱!

199cm、151kg。

1963年8月12日生まれ。

1979年初土俵(15歳)。

1984年9月入幕(21歳)。

1986年9月横綱(22歳)。

入幕から横綱になるまで、2年という超スピード出世、さらに一回も優勝をしていません。

これだけでもよくお分かりと思いますが、「天才」「伝説(レジェンド)」とは

彼のことを言います。北尾光司、波乱万丈の人生の始まりです。

そして、突然!!

1987年12月廃業(24歳)。横綱在位8場所でした。横綱としても優勝はありません。

入幕から横綱になって、たった3年で、相撲人生を終えてしまったのです。

ファンとしては、大変なショックを受けたということが記憶の奥の方にあります。

この「廃業」理由が気になりますね。

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あの事件、北尾光司こと元横綱双羽黒の廃業のキッカケとは?

いわゆる「双羽黒事件」として有名な話になっています。

なんでこのような「横綱廃業」という結果になってしまったのか、不思議で不可解な事件でし

た。

大したことではなかったのですが・・

事の発端は、

廃業した日の1987年12月27日の夜のこと、

「あんなちゃんこが食えるか」

と横綱双羽黒が言ってると、部屋の若い衆が、立浪親方に言いつけたことにはじまり

立浪親方が横綱を叱責したところ、その勢いのまま、部屋を飛び出してしまったということで

す。その際、おかみさんを突き飛ばしたと報道されましたが、本人は、否定しております。

あの事件、北尾光司こと元横綱双羽黒廃業への道

後日談となりますが、天才横綱双羽黒は、ちゃんこの味のことで文句を言ったわけではなく

料理もちゃんとできない若い衆に指導しろと言いたかったようです。

この事件は、現役横綱起こした事件として、大きな問題として取り上げられ、報道もされまし

た。

その後、双羽黒は、都内のマンションに籠城しているところ、説得にあたったが、拒絶したた

め、立浪親方は、日本相撲協会に双羽黒の廃業届を提出し、日本相撲協会は、1987年12月31

日緊急理事会で双羽黒の廃業届を受理しました。

この時の北尾光司こと横綱双羽黒の本心は、「廃業するつもりはなかった」と語っていまし

た。

つまりは、立浪親方は、廃業という結論を出すまでには、言葉では言い表せないほど天才肌の

かたやぶりな北尾光司こと横綱双羽黒は、たくさんのさまざまな出来事を起こしてきたのを我

慢してきたのでしょう。手を付けられない暴れん坊をうまく操れなかったので、とうとう見切

りをつけたんですね。

部屋は団体生活ですからね。

北尾光司こと元横綱双羽黒廃業のあと?

北尾光司こと双羽黒は、横綱廃業後、スポーツ冒険家として活動していましたが

プロレスラーとして転身を図り

1990年2月10日(26歳)新日本プロレスからデビューをします。

1998年プロレス引退(35歳)。

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妻が語ったその後の壮絶な人生!【6/28追記】

6月28日(金)「爆報!THE フライデー」(TBS系、午後7時~)に北尾光司さんの妻が、テレビに初出演し、夫との波乱万丈の人生を語りました。

北尾光司さんがなくられた当時、独身?という話もありましたが、調べていくと、淑恵さんという方と結婚していることが分かりましたが、いつごろ結婚したのかわかりませんでした。が、このテレビ出演でこのように語られました。

結婚はいつ?

北尾さんが現役の時から淑恵さんと交際していました。そして、北尾さんは廃業直後に、淑恵

さんはプロポーズしたといいます。

そして、「今こそ支える時」と決意し、結婚を決めたとのことです。

ふたりでの糖尿病との闘病生活

闘病との始まりは、何気ない出来事から始まりました。

北尾光司さんが日曜大工でむ、右足首に擦り傷を負いました。

そのうち治るだろうと思っていたが、数か月経っても傷は治らず、医者の治療をしても化膿が

進行、ストーブによりその足がこげているのにも気が付かないほど系も麻痺した状態。化膿

は、左足にも広がり、重度の糖尿病を知らされる。医師の診断によると、両足ひざ下切断を言

い渡されるが、夫婦ともそれを拒否。淑恵さんは、自分が医者にもかかわらずこのようになっ

てしまっことに申し訳なかったと自責する。別の病院に入院するため、いろいろ探したが、拒

否され、自宅での介護となった。淑恵さんは、仕事をやめ、夫を24時間介護し続ける。身長2

メートル、当時、体重40キロの北尾さんを介護した結果、淑恵さんの体が壊れ始める。椎間板

ヘルニアとなってしまう。地獄のような生活となり、そんな中、北尾さんは自殺を図ったが未

遂と終る。その繰り返しが続いた。次に、北尾さんは腎臓が悪化し、今年2019年2月10日に帰

らぬ人となりました。本人の希望もあり、2月14日家族葬、3月28日納骨を済ませました。

北尾さんが入院中、自分のことをビデオに撮っておいてと求め、「死んでも愛してる」と北尾

さんが淑恵さんにメッセージを残しました。

淑江さんは、最後に、「すきだから別れようとは思わなかった」と語りました・・・

北尾光司家族の妻と娘に看取られ亡くなっていた!元横綱双羽黒の晩年!のまとめ

北尾光司こと双羽黒は、まれにみる体格と身体能力をもった力士でした。

天才にはありがちな稽古嫌いとわがままも超一級品。

「北尾最強説」としても根強く残っています。

とにかく強かったのです。

本当に残念な北尾光司こと横綱双羽黒を亡くしました。

ご冥福をお祈りいたします。

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